2011年08月19日
横笛の仲間が増えました
横笛のお稽古に行ったら、メンバーが2人も増えていました。

以前、一緒に三線を習っていたUさん(右)と
遠くから来てくださる I さんです。
実は I さん、私がはじめて知り合った沖縄の方と同じ名字だったので懐かしく感じてそう話したところ、
なんと、その弟さんだということがわかりました。
I さんのお兄さんは、1997年に開催された
「雨水フェア in 沖縄」の立役者。
当時事務局長だった村瀬誠さんに、
I さんのことをメールで伝えたら、
支援活動中のバングラデシュから返事が届きました。
雨水利用を進める全国市民の会(現 NPO法人 雨水市民の会)が
雨水フェアの初めての地方開催を成功させることができたのも、
水道局の課長だったI さんのお兄さんが走り回ってくれたから、
とても感謝しているというような内容でした。
フェア運営にかかわった市民の会の人たちも、
みな同じ気持ちだと思います。

(雨水フェア in 沖縄のシンポジウムの様子)
思えば、私が沖縄の三線をはじめたのは、
そのフェアで沖縄に行ったことがきっかけでした。
台風で飛行機が飛ばないかもという状況下、
なんとか沖縄にたどり着いてフェア会場へ直行。
次の日の現地視察中の雑談で「沖縄病」という言葉を知り、
沖縄に対して「嫌いになるか、病みつきになるか」
極端な感想に分かれるんだよという話を聞き、
3日間の滞在中、一度も海を見ることができなかったけど、
おみやげに
三線を購入しました。
そして、「沖縄病」にかかりました。
とても残念なことですが、 I さんのお兄さんはフェア開催の翌年、
病を患いお亡くなりになりました。
でも、I さんのお兄さんの尽力がなければ
私が琉球の伝統芸能と触れ合うことも
ここで笛を習っていることはなかっただろうなあ……。
I さんが笛を吹いているのを眺めながらそんなことを考えると、
人との縁は不思議だなあとつくづく感じます。
以前、一緒に三線を習っていたUさん(右)と
遠くから来てくださる I さんです。
実は I さん、私がはじめて知り合った沖縄の方と同じ名字だったので懐かしく感じてそう話したところ、
なんと、その弟さんだということがわかりました。

I さんのお兄さんは、1997年に開催された
「雨水フェア in 沖縄」の立役者。
当時事務局長だった村瀬誠さんに、
I さんのことをメールで伝えたら、
支援活動中のバングラデシュから返事が届きました。
雨水利用を進める全国市民の会(現 NPO法人 雨水市民の会)が
雨水フェアの初めての地方開催を成功させることができたのも、
水道局の課長だったI さんのお兄さんが走り回ってくれたから、
とても感謝しているというような内容でした。
フェア運営にかかわった市民の会の人たちも、
みな同じ気持ちだと思います。

(雨水フェア in 沖縄のシンポジウムの様子)
思えば、私が沖縄の三線をはじめたのは、
そのフェアで沖縄に行ったことがきっかけでした。
台風で飛行機が飛ばないかもという状況下、
なんとか沖縄にたどり着いてフェア会場へ直行。
次の日の現地視察中の雑談で「沖縄病」という言葉を知り、
沖縄に対して「嫌いになるか、病みつきになるか」
極端な感想に分かれるんだよという話を聞き、
3日間の滞在中、一度も海を見ることができなかったけど、
おみやげに

そして、「沖縄病」にかかりました。
とても残念なことですが、 I さんのお兄さんはフェア開催の翌年、
病を患いお亡くなりになりました。
でも、I さんのお兄さんの尽力がなければ
私が琉球の伝統芸能と触れ合うことも
ここで笛を習っていることはなかっただろうなあ……。
I さんが笛を吹いているのを眺めながらそんなことを考えると、
人との縁は不思議だなあとつくづく感じます。
Posted by りんぼ at 00:13│Comments(0)
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