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2011年03月13日

東北地方太平洋沖地震、そのとき東京では

2011年3月11日、午後2時46分ごろに発生した東北地方太平洋沖地震。
震源地の宮城県三陸沖のマグニチュードは3月13日現在、
9.0に修正されました。

前日の宮城県で「震度5弱」という地震があり、
東京でも結構揺れたので仙台の知人に連絡したところ、
「問題ないと」いう返事に安堵したばかりだったのに……。

東京の「震度5強」というのは、こんな感じでした。
東北地方太平洋沖地震、そのとき東京では


東北地方太平洋沖地震、そのとき東京では
東北地方太平洋沖地震、そのとき東京では










東北地方太平洋沖地震、そのとき東京では

積み重ねた資料が崩れるときも、このような状況になることはありますが、
棚の上の荷物も落ちて来ました。

「地震で揺れるのは、せいぜい1分間程度」と、昔聞いたような気がしますが、
第2弾の揺れが来たときには、3分から5分ぐらい
揺れていたような気がします。

たとえが不適切かもしれませんが、船の中でのような揺れ、
と言ったらイメージしてもらえるでしょうか。

正確にカウントしていたわけではありませんが、
その後、余震が20~30回ぐらい起こり、
これがとても心を不安にさせるのです。

首都圏内の電車はすべて運休となり、
窓の外を眺めると、徒歩で帰ろうという大量の人々の移動が見えました。
(時間が経つうちにどんどん増えたので、これはまだまだ序の口でした)
東北地方太平洋沖地震、そのとき東京では


コンビニにはすでに食料がなく、
宮城県、茨城県と震源地が南下しています。
東北での津波による被害も報道され、
体験したことのない揺れは尋常ではなく、
もうひとつ大きなのが来たら建物がつぶれそうな恐怖があり、
職場に泊まる気になれません。

東北地方太平洋沖地震、そのとき東京では

職場の建物には、段差(矢印部分)ができていました。

これって、阪神・淡路大震災のときの下水処理場の被災状況の写真でも、見たような気がします。








しばらくは、「きっこさんのつぶやき」で情報を確認していたのですが、
そのうち不安がピークに達し、
食料とトイレ、24時間OKで、なにかあったらすぐに逃げられる場所――。
ということで、1階にある居酒屋さんに職場の人と駆け込みました。

飲んでいる人もいましたが、私はそういう気になれず、
夜中の11時ごろから、徐々に私鉄が復旧し出したので、
新宿駅まで歩いて向かいました。



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Posted by りんぼ at 19:52│Comments(0)その他
 
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