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2010年09月18日

特攻花(とっこうばな)

「今度、喜界島に行った時には、必ず特攻花を見よう」

5年前、奄美大島の喜界島の旅行から戻った直後に、
特攻花のことを知り、そう心に誓いました。

それまでも、5回ほど喜界島に行ったことがあったのですが
その花の存在をまったく知らず、東京で、
『特攻花』(仲田千穂 編著、七彩工房 発行)という写真集によって知りました。
写真展にも行きました。

そして今年の8月、ようやく念願を果たしました。
シーズンも終わりで、多くが綿毛になっていましたが、
本物の特攻花を見ることができました。
特攻花(とっこうばな)


特攻花(とっこうばな)
特攻花は、正式には天人菊
(テンニンギク)、あるいはガイラルディア
と呼ばれる北アメリカ原産の花。


写真から可憐な雰囲気をイメージしていたのですが、
実際に見ると、意外と毒々しい色彩を持っていました。


なぜこの花が、喜界島に咲いているのか――。

第二世界大戦中、沖縄のアメリカ艦隊に向かう特攻機は、
鹿児島県知覧町(現南九州市)から飛び立ったあと
中継基地である喜界島にいったん降りて整備などをしたのです。
【※ 知覧は陸軍基地なので、
   飛び立ったのは鹿屋海軍基地だそうです。
   papaver さんから教えていただきました。】

旧知覧町に自生していたその花を、
短い人生の最期に踏みしめた土地に運んだ特攻隊員がいた――。

私の手元にいまは写真集はないのですが、
そんなことも書かれていたように記憶しています。


喜界空港の周囲にひっそりと咲いているのかと思っていたら、
あそこにもここにもと、かなりの範囲に広がっていました。
特攻花(とっこうばな)

戦争の犠牲になった若者の思いがこんなふうに残っているのか
と思うと、胸がいっぱいになりました。

七彩工房のホームページ http://www.nanasai.jp/ には、
こんな解説があります。

「夜明け前に特攻出撃する10代の若い隊員たちに、
娘たちは野の花を贈っていました。
  ―(中略)―
63年たった今も毎年、滑走路周辺に花を咲かす、この天人菊を、
島の人たちは、『特攻花』と呼び、平和を願う花として大切にしています」

特攻花(とっこうばな)





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Posted by りんぼ at 01:02│Comments(10)出会い
この記事へのコメント
 ご無沙汰しております。
久しぶりにのぞかして頂きました~写真満載で読んでて楽しいです。
 実は大学の時、学校の生協にマンホールの蓋の写真集を見つけ、買ったのですが、10回の引越しの間に行方不明になってしまったことを思い出しました。またまた、マンホールの蓋に興味を持ちました。これからは、下を向きながら歩きます。
 夏の疲れが出る時期ですので、体に気をつけて
次回の記事を楽しみにしてます。
Posted by ヤリミー at 2010年09月19日 18:49
☆ヤリミーさん
ご無沙汰してます。
マ、マンホールのふたの写真集を買ったことがあるなんて、なかなかやりますね~。シロウトとは思えませんね~。
ただ、下を向いて歩くと美容によくない(逆リフティング効果?)と思うので、そこそこにしてくださいね。 (^_^;)
Posted by りんぼりんぼ at 2010年09月20日 22:45
初めまして、特攻花で検索していたらヒットしました。
そのまま通り過ぎてもよいのですが、メディアに携わってらっしゃるとのことなので書き込みます。
知覧基地は陸軍なので飛び立ったのは海軍基地である鹿屋です。
それはさておき、鹿屋での特攻花はオオキンケイギクです。それがなぜか喜界島に着くとテンニンギクに化けています。
また喜界島で詳しく取材した奄美の情報誌「ホライゾン」によれば、昭和の初めに飛行場になる前は墓場だったそうでそこにテンニンギクはすでに咲いていたとのこと。2009年6月6日の南日本新聞にも当時飛行場で働き、今も喜界島に住む方の証言が載っていますが戦前から咲いていたそうです。
以上のことから考えて、写真集に出てくる元パイロットの証言には疑問符がつきます。
奄美ホライゾン日記blog : 特攻花とは?
オオキンケイギクではない「特攻花」
で検索してみてください。

ちなみに知覧特攻平和会館の方に伺ったところでは、知覧には戦後鹿屋からオオキンケイギクの種を分けてもらったとのことです。

身も蓋もない話で申し訳ありません。
Posted by papaver at 2011年02月09日 19:55
☆papaver さん
いろいろな情報をありがとうございます。
『ホライゾン』は、私も奄美に行くたびに購入しています。
さて、特攻花のこと。ブログを拝見しました。そうだったのですねー。(というか、真実を追究しようとするならば、自分自身で確認しなければならないのですが。)
戦争を美化する話にはウンザリしますが、「特攻花の物語」についてはそれとは違うけれど、なんとなくメルヘンな感覚で受け止めていました。なので、特攻花のとらえ方が少女趣味だ、と指摘されたことがあります(はは)。
知覧特攻平和会館にも行ったことがあるのですが、そのときはまだ特攻花のことを知りませんでした。なかなか行く機会がない場所なので、今となっては残念です。
Posted by 管理人りんぼ at 2011年02月10日 00:35
わざわざお返事いただきありがとうございます。
ブログ拝見しましたら、蓋の話も豊富なようなので後で読ませていただきます。
タモリ倶楽部で取り上げていたのを見た気もしますが、記憶が定かではありません。
Posted by papaver at 2011年02月10日 15:15
☆papaver さん
お返事、ありがとうございます。
「鹿屋基地から飛び立った」について、本文でも修正しておきます。事実と違うことを指摘してくださると、本当に助かります。
ところで、マンホールのふたに関するサイトはたくさんあって、新参者では太刀打ちできないので、ちょっと違う角度からの説明も交えながら紹介してみようと思っています。
(ちなみに、タモリ倶楽部に出演された方は、知り合いです。)
雑多なブログですが、今後ともよろしくお願いします。
Posted by 管理人りんぼ at 2011年02月11日 16:52
ちなみに知覧基地を飛び立つ陸軍の特攻機に向かって桜の枝を振って見送る様子が写真や当事者の女学生の日記として残っています。
WEBでも見られますが、悲しい気持ちになるので見ない方がよいかもしれません。
Posted by papaver at 2011年02月11日 21:04
☆papaver さん
papaver さんは、とても心やさしい方なのですね。
特攻の若者たちが、短い人生しか送ることができなかったことを思うと、私も胸が傷みます。
だからこそ、人生をしっかり生きなければと思うし、戦争も二度と起こしてはいけないと改めて思うのです。
Posted by 管理人りんぼ at 2011年02月12日 21:14
りんぼさん

はじめまして。
沖縄大好きです。
記事写真ブログで紹介させていただきました。
http://ikiikiikiyou.naganoblog.jp/e721006.html
素敵な写真ですね。
Posted by ひろかず at 2011年04月27日 01:44
☆ひろかずさん
ようこそお越しくださいました。
ひろかずさんのブログ、ちらっと立ち寄りましたが、毎日のように更新されているのですね。
すばらしいです!(あとでゆっくりお邪魔します)
Posted by りんぼりんぼ at 2011年04月29日 00:00
 
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