てぃーだブログ › 下水道と歌三線と横笛と › 下水道 › マンホールのふた › マンホールのふた

2010年08月24日

マンホールのふた

下水道への入り口、それがマンホールのふたです。
マンホールのふた


普通の人は、ふたのことを「マンホール」って呼んでいる思うのですが、
専門的には、その下に存在しているたて型の構造物
(下水道とジョイントするところ)全部をマンホールというのです。

なので、外側から見えるのは、外界と遮断する「ふた」になるわけです。

マンホールのふた
映画などで、内側から押し上げて出てくるシーンなどを見たことがありますが、
あんなことは絶対にできません。

なかには鍵付きのものもありますが、
開けるときは、外側から専用の器具を用いて、背筋の力を一気にしぼり出さないと、
開いてくれません。
なんせ、50キログラム以上もあるのですから。


今では、市町村ごと目的ごとに
さまざまな模様があるマンホールのふたですが、
昭和30年代には模様がJIS規格となっていました。

マンホールのふた

ちなみにこれは、昭和12年(!)に刊行された
下水道の専門書に書かれているマンホールふたの図面です。


ところで、昭和50年代の終りごろ、
マンホールに自治体の特色をデザインしようという意見が出されました。

 A 「マンホールは、人の目に触れる下水道の部分だから、
  きれいなデザインにしたらどうでしょうか」
 B 「でも、公共事業だから、華美な設計をするのはちょっとね……」
 A 「いや、下水道に関心を持ってもらうためには、
  デザイン性の高いほうが注目されますよ」
 B 「あの模様は、滑り止めのためにあるんだからね。
  機能性以外のデザインは必要ないと思うけどな……」
 A 「下水道のイメージを明るくするために、必要なことです。
  注文が増えれば、コストもこれまでとそんなに変わらなくなりますよ」

などの話し合いがあったのではないでしょうか。
あくまで想像ですが。
結果、国がデザイン化を勧めることとなり、
多種多様なデザインが誕生したのです。

そのような検討の前に造られた、オリジナルマンホールの第1号が、
那覇市のマンホールふたと言われています。
マンホールのふた


今となっては、控えめなデザインですよね。
よく見ると、お魚のかわいい連続模様です。

かつてのデザインは、このように「どっから見ても同じ」
というのが基本だったのです。
上下があると、現場の人が設置するときに、
「どっちを上にしようかはてな」と迷ってしまうからだと思います。

デザイン化が普通になったいまは、
市町村を象徴する花鳥風月的なデザインが多いのですが、
かつてある街を代表する人物をデザインしたところ、
「踏みつけられるようなものに描いてほしくない」という理由で
議会に反対された、という話も残っています。

また、「うすい」「おすい」とひらがなで明記するようにしたら、
「ウスイさんからクレームが来た」なあんて話もあります。


マンホールふたに関する話題はたくさんありますが、
写真を撮るのを趣味にしている人も結構います。

林丈二さんというイラストレーターは、
国内外のマンホール写真を撮りまくり、本を出したことがある方です。
マニアとしての草分け的存在、サブカルチャーの走りのような人です。

私の知り合いでも、マンホールを撮るのが好きという人が何人かいますし、
海外からの旅行者も日本のふたのデザインには注目してしまうそうです。

ときどき職場にも「撮ったど~グー」と送られてきたりするし、
自分でも気がつくとシャッターを押していた、なあんてことがあるので、
ここでも紹介したいと思います。




同じカテゴリー(下水道)の記事
宇宙でも水循環
宇宙でも水循環(2016-08-15 22:53)

雪のかまくら
雪のかまくら(2016-01-25 00:40)


この記事へのコメント
はじめまして。マンホールのエントリ、大変興味深く拝見させていただきました。
私もマンホールの写真を取り集めており、また下水道にも興味が湧いてきているので、とても勉強になります。

さて、一点教えていただきたいことがあるのですが、
この記事で画像が掲載されています「昭和12年の下水道の専門書」ですが、この書名と著者名が分かりましたらお教えいただけないでしょうか。
実はこのような http://bit.ly/p1CK0C  JIS規格模様のマンホール成立に関して調べている文章を書いております関係で、参考文献としてご指摘の書籍を参照したいと思いましてお尋ね差し上げる次第です。
お忙しいところ誠に恐縮ですが、ご確認願えましたら幸いです。
Posted by やなぽん at 2011年07月12日 13:03
やなぽん様に、りんぼ様のサイトを紹介したおいらです。
やなぽん様の探究心に脱帽です。
世の中いろんな人が居るんだなーってとっても自分にも励みになりました。
Posted by ころ助なり at 2011年07月12日 22:32
☆やなぽんさん
ようこそお立ち寄りいただきました。
お問い合わせの本は、「アルス土木工学大講座19 『下水道』」です。著者は高橋甚也さんで、当時の東京市水道局長です。
ただ、お調べの内容は書かれていません。土砂の流入を防ぐために、ふたの裏側に当時は「おなべ」を入れていたということが示された資料としてお借りしたものなのです。
そこには、「人孔蓋には表面に各種の縞目模様マーク等を付して識別に便ならしめ、同時に滑りを防ぐ」などが書かれています。
中島鋭治氏の復命書を見ると、明治19年から4年間、その後も明治34年に欧米の各地に視察に行ってます。上下水道、道路、発電所、鉄道、発電所など、いろいろなライフラインを視察しています。
ちなみに、明治44年には、中島鋭治氏の一番弟子、米元晋一氏が欧米視察に行っています。
いずれも、欧米のマンホールふたを見て参考にする機会は十分にあったと思います。
Posted by りんぼりんぼ at 2011年07月13日 00:37
☆ころ助なりさん
ご無沙汰してます。お変わりありませんか?
(日本は、だいぶ変わりましたね。悪い意味で)
さて、ずいぶんと熱心なお知り合いがいらっしゃるのですね。日本下水文化研究会に入会してほしいくらいです。
近代下水道の黎明期には、マンホールのふたに関する記述がほとんど残されていません。なので、やなぽんさんの今後の研究の成果を期待いたします。
Posted by りんぼりんぼ at 2011年07月13日 00:47
りんぼさん>
丁寧なご回答ありがとうございます。確かに蓋の下の泥受皿は当時あったようですね。実は管見の限りでは、田中寅男氏『下水道及下水処理』(昭和9年)の図とご提示の図がかなり似たものあったので、出典を確認したかったのです。高橋氏が都の水道局長ということで、つながりが理解できました。本も近くの図書館にあることが分かったので、近く閲覧してまいります。
中島氏に関する情報もありがとうございました。やはり当時の記録を当たるのが一番早いのでしょうが、なかなか難しいです。地道に進めたいと思います。
下水文化研究会も、HPを既に拝見しておりまして、興味があります。未だ知識も何もないのですが……。

ころ助なりさん>
ご紹介いただきありがとうございました。大変勉強になりました。
Posted by やなぽん at 2011年07月13日 10:04
☆やなぽんさん
田中寅男さん、、、久しぶりに聞く名前です。
たしか彼が三河島の場長だったときに、活性汚泥法による水処理実験が東京で始まったのです。
(最初に三河島で導入したのが、散水ろ床法でした)
では、いい情報が入ったら、改めて連絡しますね。
Posted by りんぼりんぼ at 2011年07月13日 23:59
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。