伊礼弘さん
私が歌三線を勉強するようになった大きなっきっかけを作った方が、
故・伊礼弘さんだ。
彼が企画した
雨水利用のイベント『97 雨水フェア in 沖縄』のため、
私はそのとき初めて沖縄に向かったのである。
その伊礼さんの追悼集をお借りした。
ハードカバーで、こんなに立派な装丁の追悼集を
手にしたのは、初めてだ。
表紙は力強い文字で書かれているが、
裏表紙には、『
裏方人生』とひっそりと書かれている――。
本づくりをする者は、表紙に思い入れをする。
そして、この表紙を見ただけで、
彼の人望がよくわかる。
拝読して、さまざまな面を知った。
葬儀で、十七八節が流れていたこと、
棺の中に工工四が入っていたこと、
組踊の舞台づくりにもかかわっていたこと・・・・・。
「水」の面でのご活躍や野村流音楽協会(当時)への所属について
多少知っていたが、琉球古典音楽とこれほど深くかかわっていたとは!
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舞台の進行表って、こういうふうに書くのですね。
(
野村流音楽協会70周年記念公演、と書かれています)
村瀬誠さんからの追悼文には、
「
雨水資料室」ができるということが書かれていたが、
資料館が入っていた
すみだ環境ふれあい館はこの3月末で閉館するらしい。
時の流れを感じる。
※1997年に開催した「雨水フェアin沖縄」での伊礼弘さん。
最後の「交流の夕べ~玉水の縁」で踊っているのは
なんと、
東京音頭 です!
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