歌うときには「思い入れ」が大切ですよ、とよく言われます。
それには、歌詞の持つ意味を深く理解しなければならないのですが、
言葉というものは文化的な背景を背負っていて、
沖縄の言葉の微妙なニュアンスを理解するまでには至っていません。
琉球古典音楽はゆったりとした曲が多いのですが、
琉歌・八八八八の32文字を基本にした歌詞のうち1文字を歌うのに、
30秒ぐらい費やすこともめずらしくありません。
でもそうなると、三線を弾きながら歌うのに精一杯で、
一体どのフレーズの一部なのかがわからなくなってしまうことがあります。
そういうことをクリアして初めて、「思い入れ」ができるのだと思うので、
もっともっと勉強しなければ、きちんと歌いこなすことはできません。
壁は大きいなあ・・・。
そんなことを考えているとき、
『十七八節』という曲を知りました。
三線のコンクールの最高賞部門の課題曲の一つです。
沖縄の曲で「十七八」と言うと、
娘盛りのお年頃 という意味で使われる歌詞が多いようですが、
この曲の場合は、重々しい曲想から(私にとっては、古典曲はみんな重々しく感じるけど)、
仏教の解脱に至る過程のうち、重要な「本願十七と十八」を意味している
という説があります。
なので、死者を悼むときに歌われたりします。
歌三線を教えてくださっている宮城康明先生は、
この曲を最初に歌って聞かせてくださったときに、涙ぐまれました。
「いろいろと思い出してね」と。
その後、師匠の故上地源照先生の追悼公演でも歌われたそうです。
で、この曲を知ったとき、一条の光が差し込みました。
「仏教の世界観なら、やまとんちゅ(私たち)のほうが得意なんじゃない?」
そして、しばやく休んでいた三線を再開することを決めたとき、
「よし、この曲をクリアしよう!」と心に決めました。
(今年の5つの目標のうちのひとつにしました)
先人たちの研究成果のおかげで、全体のストーリーは解釈されています。
この世にまだたゆたっている魂とのお別れ、あの世への旅立ち
というようなテーマです。
それが曲全体を通じて表現されています。
ただし、15分くらいの長い曲なので、覚えるのだけでも大変です。
そこで、 楽曲分析(アナレーゼ)もどきを試みました。
あくまで自己流。もどきもいいところですが、
「このフレーズに持っていくためにこの前兆があるんだ」
などと勝手に解釈して、納得したりしながら。
ふむふむ、声明(しょうみょう)の雰囲気だってあるし、
「喝!」みたいなところだってあります。
信仰はしていないけど、仏教的な感覚って、
とってもイメージがつかみやすいです。
曲想をかみしめながら歌う、いい訓練になったのではと思っています。
ただ、覚えたのは半年前で、今日、久しぶりに弾いてみましたが、
結構忘れてましたねー。